2013年2月13日水曜日

新居浜の誇り 日本サッカーの父・三浦和良の奇跡

新居浜の誇りと勝手に書いてますが、前川勇治の知る限り、三浦和良選手と愛媛県の新居浜にはゆかりがあるという話は聞いたことがありません。
 しかしながら、カズ選手にとっては、もしかしたら新居浜と言う行った事も無い土地に、浅からぬ縁があるかもしれないというお話です。 

カズは、まだ日本にJリーグなどというしゃれた組織の無い頃、中学卒業後の15歳で単身、ブラジルに渡りました。
当時の日本は、子供たちの将来の夢はプロ野球選手という時代で、プロサッカーと言うものは存在すらなく、実業団チームで唯一、日本でも知名度があった選手がヤンマーの釜本と言う時代です。 かつ、サッカーの国際試合で日本が誇れる戦績といえば1960年のメキシコ五輪における銅メダルで、これすらも奇跡のメダルと言われるくらい、日本サッカー界というのは長い間不毛の時代が続きました。 

おそらく、日本人のメンタル的にルールの解釈があいまいで、運用に白黒がはっきりとつきにくいその審判スタイルが、ともすればスポーツ観戦の際にはどちらかのチームに肩入れしてみることが多い日本人にとって苦痛なのでしょう。 
ラグビーの試合でも、大学ラグビーの世界には、「関東笛」と呼ばれる、関東の大学チームに有利なジャッジが下されると言う不公平感が、関西の大学ラグビーチームを中心に根強く存在しますが、こんな事も影響があるのかもしれません。

 話を元に戻します。 15歳でブラジルに渡ったカズは、多感な少年時代を挫折の繰り返しの中でプレーをしていくわけですが、その時に出会ったのが、前川勇治の記憶では、確か新居浜出身の著名人で、生涯続く縁を持つことになる人でした。 (続く)